街路樹に片手を添え、もう片手を握って唇に当てる。
二人の姿を見かけたのは偶然だ。最初にツバサの姿を見つけ、声を掛けようとして隣の蔦康煕に気が付いた。
思わず、隠れてしまった。
実のところ、里奈は蔦康煕に対してあまり未練はない。今思えば、本当に好きだったのかと疑問に思うほど、その想いは薄れてしまっている。
万引きの件で味方になってくれなかったという事実はショックだったが、逆の言い方をするならば、それほど簡単に崩れてしまうほどの信頼しか持ち合わせていなかったという事にもなる。
ショックだったと言うのなら、蔦康煕の態度よりも、むしろ美鶴の言葉の方が衝撃だった。
美鶴―――
そう、里奈の胸の内を大きく占める存在。
蔦の存在よりも、澤村優輝のドス黒い存在や美鶴との離別の方が、里奈には重く圧し掛かっている。
「美鶴」
一人呟き、緩く唇を噛む。
めったに唐草ハウスの外へ出ることのない里奈。そんな彼女が、こんな唐渓高校のすぐそばまでやってきた理由。それは美鶴。
昨日の夜、ツバサから美鶴の学校復帰を聞いた。事件後休んでいた美鶴が、今日からまた登校するという話だった。
もちろん美鶴から報告があったワケではない。ツバサの方から一日一回美鶴に電話をし、状況を確認していたのだ。
どうやら美鶴はツバサに軽く弱みでも握られているようで、ゆえにツバサからの電話は邪険には扱えないらしい。ツバサ本人には弱みを握っているという自覚はないようだが、聡や瑠駆真など、他の人間が電話をしても美鶴はほとんど無視をすると聞いている。それがツバサの電話にだけは対応していると言うのだから、何か裏があるのは間違いないだろう。
「あのシャンプー、そんなに気に入ってんのかな? まぁ 良い香りではあるけれど」
などとブツブツ独り言を言いながら、美鶴の様子を里奈に伝えに来るツバサ。
「直で会ってるわけじゃないけど、元気そうだよ」
美鶴のことを気にしてるって、やっぱ態度に出ちゃってるのかな?
里奈は恥ずかしく思いながら、それでも美鶴の状況は知りたい。
「明日から学校行くってさ。あんまり休んでると、また浜島に目を付けられるからね」
美鶴………
唐渓高校での美鶴を取り巻く環境は、あまり良好ではない。それもツバサから聞いて知っている。
知っているし、里奈にはなんとなく理解できる。
「唐渓は、あなたのような子が通える学校じゃない」
あの人の言った通り、私なんかが行ってたらきっとすぐに辞めちゃってただろうな。
美鶴、すごいな。
そう思いながら一方で、なぜ美鶴が唐渓などに進学したのか、その理由はさっぱりわからない。
どうして唐渓になんか?
聞いてみたい。
ツバサから美鶴の話を聞くたび、会いたいとは思っていた。だがそんな勇気は、里奈にはない。勇気や度胸などいった代物が里奈に備わっていれば、そもそも美鶴との関係は、これほど拗れはしなかったのかもしれない。
私が臆病だからいけないんだよね。だから美鶴にも迷惑かけちゃって。
里奈の記憶に残る快活で頼もしい美鶴と、ツバサから聞く捻くれた、不愉快を撒き散らす美鶴。
私が、いけないんだよね。もっと強くならなくっちゃ。
悩んで悩んで、悩みあげて、ようやくここまで辿り着いた。
しかし、あと少しで校門というところで、足が竦んでしまった。
美鶴に会って、何を言えばいいんだろう?
考えた途端、急に怖くなってモタモタしているところに、ツバサの姿を見かけた。声をかけようとして、蔦康煕の姿も認めた。
とても仲の良さそうな二人。思わず隠れてしまった。
邪魔しちゃ、悪いよね。
街路樹に隠れるようにして二人を見つめる里奈の姿は、傍から見ればなんと情けなく無様なことだろう。
私と美鶴も、昔はあんなふうだったんだよね。
すでに見えなくなってしまったツバサの背中を虚ろな瞳で見つめる。
昔は二人で並んで帰って、並んで登校して、クラスが違っても休み時間には必ずおしゃべりをして、部活も一緒で、試合では必ず美鶴が応援してくれて……
秋とは名ばかりの澱んだ風が、蝉の声を乗せてノロノロと頭の上を通り過ぎて行く。
里奈が気弱になると、美鶴はいつも優しく頭を撫でてくれた。
優しくて、頼もしくて、暖かい掌。
目頭がジンワリと痛くなる。
どうしてこんなふうになっちゃったんだろう?
みるみる溢れる涙がもうまもなく零れようとする寸前。
「田代?」
低く咎めるような声。里奈は飛び上がって身体を捻った。振り返る先では少年が、本当に愛想悪くこちらを見下ろしている。
その視線に、里奈は思わず身を強張らせた。
「こっ 小竹くん」
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